野球選手として大活躍する佐々木郎希(ささきろうき)選手。
そんな佐々木郎希選手ですが、母親・陽子さんのもとで母子家庭で育っています。
父親・功太さんは実は佐々木郎希さんが9歳の頃に東日本大震災で被災をしてしまい、津波が原因で亡くなられたのです。
さらに生前の父親の職業は葬儀屋だったことや、母親の職業は保険営業マンということがわかっています。
また兄と弟がいて男3人兄弟、4人の複雑な家族構成となっていますが、両親の顔画像と含めてもう少し詳しく紐解いて見ていきましょう。
▼この記事でわかること▼
・兄弟や家族構成について
・感動的な家族エピソード4つまとめ
※佐々木労基ではありません
【顔画像】佐々木郎希の父親の職業は葬儀屋で母親は美人保険営業マン!
佐々木郎希選手の父親の職業は生前葬儀屋として働いていました。
残念ながら顔画像は明らかになっていませんが、母親の顔画像はこちら。
非常に美人な方というのがよく分かりますよね…!
佐々木郎希選手の母親・陽子さんも東日本大震災以前は岩手県の会社員でOLとして働いていました。
仕事の内容は保険営業マン。現在に至るまでもずっと同じ場所で勤務しているようですね。
子供の意志を尊重する放任主義だそうです。今も、保険の営業マンとして活躍されています」(地元住民)
引用:Yahoo!ニュース
佐々木郎希の家族構成|3人兄弟の母子家庭が複雑!
佐々木郎希選手の家族構成をまとめると以下の通りです。
佐々木郎希の家族構成
母親:佐々木陽子(49歳)
父親:佐々木功太(享年・37歳)
兄:佐々木琉希(24歳)
本人:佐々木郎希(21歳)
弟:佐々木怜希(17歳)
また、年齢の表記は2022年現在となっております。
9歳の時に父親を亡くしていますので、3人兄弟4人家族の母子家庭ですね。
佐々木郎希選手は岩手県立大船渡高校出身ですが、兄・琉希さんも同じく大船渡高校。
佐々木郎希選手も高校時代4番でエースでしたが、兄・琉希さんも同じく大船渡高校で4番を任されるほどの中心選手でした。
高校卒業後は東北学院大大学に進学し、大学卒業後はそのまま東北学院大の大学院に進学したことがわかっています。

画像引用:Twitter
こちらが兄・琉希さんの以前運用していたTwitterのアカウントとなりますが、2021年まで大学院の2年生だったことが分かりますね。
一方、弟の怜希さんも大船渡高校に進学し、現在はショートのレギュラーとして2年生ながら大活躍しています。

画像引用:https://www3.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=0320004&date=20200808
上の列の真ん中にいる方が、佐々木郎希選手の弟・怜希さんです。
また、中学校時代から岩手県の気仙沼区の選抜チームにも選ばれており、さすが佐々木郎希選手の弟さん…という感じがしますね。
佐々木郎希の両親との家族エピソード4つが感動的!
それでは、佐々木郎希選手の両親や家族との感動的エピソードを4つまとめました。
②兄・琉希が父親代わりだった
③震災での被災が今の佐々木郎希の礎に
④プロ初勝利のインタビューで母親・陽子が大号泣
それでは一つづつ紐解いて見ていきましょう。
①父親・功太は地元の陸前高田のリーダー
佐々木郎希選手の父親・功太さんは地元の陸前高田のリーダー的存在だったことがわかっています。
以前インタビューで佐々木郎希選手は父親のことに関して以下のように触れたことがあります。
僕がいうのもあれですけどと言ったのちに、誰とでも仲良くしてみんなに愛されていた存在だったということを明かしました。
亡き父について、初めて口を開いた。今度は「なんか、僕が言うのもあれですけど」と気恥ずかしそうに前置きしてから、少し胸を張った。
朗希 誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。
引用:https://www.nikkansports.com/baseball/news/202003100000642.html
というのも、父親・功太さんは陸前高田の有名な人物で、夏祭りなどでもリーダーとして地元を牽引していました。
陸前高田市の市長である戸羽太さんも佐々木郎希さんの父親・功太さんについて、
・先輩からも後輩からもみんなから好かれていた
というように語っています。
また佐々木郎希選手が少年野球に通う中、自宅では父親・功太さんがキャッチャーを勤めてよく連取をしていたようです。
「家では、お父さんが毎日のようにキャッチャーをやって、朗希とお兄ちゃんが投げ込んでいたそうです。震災後の大変な時期でも野球を続けたのは、お父さんとの思い出もあるんじゃないかな」(同前)
引用:Yahoo!ニュース
②兄・琉希が父親代わりだった
また、佐々木郎希選手は震災で父親・功太さんを亡くしたことによって兄の琉希さんが父親代わりだったんだそう。
佐々木郎希さんの母親・陽子さんは琉希さんのことについて、
・野球だけでなく生活面ですら、一切褒めることなく可哀想なくらいだった
ということを明かしています。
元々父親・功太さんは長男の琉希さんに対して厳しかったそうなので、その代わりになってくれていたんだそう。
陽子さん お父さんが長男にはしつけの面で厳しくて、弟の朗希と怜希にはすごく優しかった。琉希本人には聞いたことありませんが、父が亡くなってしまったので、その立場を琉希がやろうとしていたのかもしれません。
引用:https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201807310000290.html
佐々木郎希選手は非常に負けず嫌いなことで有名ですが、自身も兄・琉希さんがこのように接していくれていたことに今では非常に感謝しています。
③震災での被災が今の佐々木郎希の礎に
実は、佐々木郎希選手が震災で亡くしたのは父親だけではありません。
父親以外にも、祖父母も亡くされています。
しかし、佐々木郎希さんは当時の震災について振り返り以下のように語っています。

悲しいことではあったんですけれど、すごく今に生きている。
朗希 悲しいことではあったんですけれど、すごく今に生きているなと。当たり前が当たり前じゃないとか、今あるものがいつまでもあるわけじゃないとか、そういうのを思い知らされました。
引用:https://www.nikkansports.com/baseball/news/202003100000642.html
また、佐々木郎希選手がプロになって震災の日を迎えた時には、

プロ野球選手として初めて迎えた日ですが立場が変わって、これから僕がいろいろ発信していかなきゃいけないなという思いです。
今という時間を昔よりも大切にするようになったかなと思います。
今あるものが一瞬でなくなってしまうので、今生きている身としてそう言った人たちの分も一生懸命生きていかなきゃいけないなと思います。
というように語っていました。
高校を卒業して18歳の頃からプロ野球界のトップ選手として活躍する佐々木郎希選手。
東日本大震災は佐々木郎希選手にとって悲しい出来事であったことは間違いないのですが、その経験が若い年齢で安定した精神力で活躍する彼の礎になっているのかもしれません。
④プロ初勝利のインタビューで母親・陽子が大号泣
千葉ロッテマリーンズで佐々木郎希選手が阪神タイガー戦で初勝利を挙げた時のことでした。
佐々木郎希選手がヒーローインタビューでウィニングボールを誰に渡すのかという質問に対して、以下のように答えました。

両親に渡したいと思います。
このことに関して母親・陽子さんは自宅でテレビ観戦をしていたそうなのですが、このインタビューを聞いて大号泣したんだそう。
“母親”だけでなく、天国にいる父親も含めた“両親”というように発言してくれたことに対して非常に感動したようです。
佐々木郎希さんの家族に対する想いはもちろんのこと、母親・陽子さんの家族愛も非常に強く感じられましたね。